インクルーシブ・ネーミングとは。Githubのデフォルトブランチ名変更を受けて

フラッグシップCEOの神馬です。
近年、IT業務やソフトウェア開発の現場では、より包括的で差別のない表現を使用する「インクルーシブ・ネーミング(Inclusive Naming)」への関心が高まっています。
開発者にとっては馴染み深いと思いますが、2020年10月より、この動きの一環・象徴的な出来事として、GitHubはリポジトリ作成時のデフォルトブランチ名を従来の「master」から「main」へ変更しました。
4年以上も放置していた"もやもや"に着手したのがこの記事ということになりますので、時代を捉えていない大きいディレイについてまず謝罪します...
(2026年7月追記:公開から1年あまりの間に、Git本体によるデフォルトブランチ名変更の決定、米国でのDEI見直しなど、このテーマを取り巻く状況が大きく動きました。本記事は、その後の動きを踏まえて全体をアップデートしています。)
GitHubのデフォルトブランチ名変更の背景
「master」という用語は、歴史的に「master/slave(主人/奴隷)」という主従関係を示す用語として使用されてきました。この表現が人種差別的な背景を連想させるとして、ソフトウェア業界全体で見直しが進められています。
Black Lives Matter運動は2013年から始まっていましたが、2020年のミネソタ州でのジョージ・フロイドさんの事件を機に加熱し、なんとソフトウェア業界にも大きい変化をもたらしたのです。
2020年6月、ソフトウェアの自由とオープンソースの促進を目的とする非営利団体であるSoftware Freedom Conservancyは、Gitプロジェクトと共に、デフォルトブランチ名「master」が一部のユーザーにとって不快であることを認識し、これを変更する意向を表明しました。この声明では、Gitが新しいリポジトリを作成する際の最初のブランチ名をユーザーが指定できる機能を追加すること、また、コミュニティプロセスを通じてデフォルトブランチ名を「master」から別の名称に変更することが検討されていると述べられています。
同年10月にはGitHubはポリシーを変え、システム変更もリリースしています。
【2026年追記】Git本体も「main」へ ― 変化は標準に到達した
この記事を最初に公開した後、象徴的な続報がありました。GitHubやGitLabといったホスティングサービス側ではなく、バージョン管理システムのGit本体が、次のメジャーバージョン「Git 3.0」で git init のデフォルトブランチ名を「master」から「main」に変更することを公式に決定したのです。Gitプロジェクトが破壊的変更を管理する公式ドキュメントには「新しいリポジトリでは、デフォルトブランチ名はmainになる」と明記されており、2025年11月のGit 2.52リリース前後に広く報じられました。
Git 3.0のリリース時期は公式には未定ですが(報道では2026年末頃とも目されています)、既存のリポジトリには影響せず、対象は新規リポジトリのみです。2020年にGitHubが先行した変化が、5年をかけて、エコシステムの土台であるGit本体にまで到達したことになります。
ちなみに少し面白い事実として、Git本体の開発リポジトリ自体は、現在も「master」ブランチのまま運用されています。変更を強制せず、既存のものとは共存していく ― この現実的な進め方は、後述する私たちのスタンスとも重なるところがあります。
インクルーシブ・ネーミングとは
上記に例に限らず、IT業界でも、差別や偏見を排除し、より包括的な言語を使用する「インクルーシブ・ネーミング(Inclusive Naming)」への取り組みが進んでいます。この動きの一環として、2020年にIBMやRed Hat、VMware、Cisco、Linux Foundationなどの主要IT企業が協力し、「Inclusive Naming Initiative(INI)」を結成しました。
INIの目的は、ソフトウェアやドキュメント内で使用されている差別的または排他的な用語を特定し、中立的で包括的な表現に置き換えることです。例えば、「master/slave」という用語は、「primary/secondary」や「leader/follower」といった中立的な用語への置き換えが推奨されています。
INIはその後も活動を続けていますが、2026年現在の発信を見ると、「これはキャンセルカルチャーではなく、価値観を反映した文化を意図的につくることだ」という、いわば防御的な説明が目立つようになっています。推進する側も、後述する時代の空気の変化を意識していることがうかがえます。また、インターネット標準を策定するIETFでは、包摂的な用語への置き換えを提案する文書が5年以上・14版にわたって改訂されながら、いまだ正式なRFCには至っていません。標準化団体レベルでの合意形成は、それだけ難しいテーマだということでもあります。
日本のビジネス環境においては、英語圏ほど文化的背景を踏襲していないことから、問題意識は深くないものの、外資系企業やその取引先などからこうした用語の見直しが求められています。
そんな中、自分の中でも疑問だったのが、商品マスターという言葉です。IBM出身の同僚が軽く問題提起したことがあり、「確かに」と思っていたものの、深く理解していなかったことから調査し、この記事を書くに至った背景です。
日本における「商品マスター」という用語について
日本のビジネス環境では、「商品マスター」という用語が一般的に使用されています。この場合の「マスター」は、データの基準や正確な情報源を指すものであり、差別的な意味合いは含まれていません。
しかし、その正しい定義に関わらず、「マスター」という言葉自体に違和感を覚える方もいるかもしれません。そのような場合、以下のような代替表現を検討することが考えられます:
- 商品カタログ:商品の一覧やカタログを示す。
- 商品DB:商品情報を一元的に管理するデータベースを指す。
文脈と受け手に応じた調整の視点
「master」という言葉が問題視される背景には、従属関係(master/slave)を前提とした技術的な文脈で使われてきたという歴史的背景があります。
ただし、あらゆる「マスター」という表現が常に不適切というわけではなく、文脈によっては「基準」や「熟練者」「支援者」といった肯定的な意味で使われることも多くあります。
重要なのは、相手やコンテキストに応じてその言葉がどう受け取られるかに配慮できること。仮に相手がその言葉に対して違和感を抱いているのであれば、それに合わせて表現を調整する柔軟性を持つ、というのが私たちのスタンスです。
「スクラムマスター」という名称について
ちなみに、当社の組織図にも「スクラムマスター」という役職名があります。
この場合の「マスター」は、いわゆる従属関係を示す「master/slave」の文脈とは異なり、チームを支援し、円滑な開発を導くファシリテーター的存在を指しています。アジャイル開発における公式な用語でもあり、業界内でも広く使用されており、現時点では明確な代替語も存在しません。
そのため、当社においてもこの役職名は引き続き使用していますが、今後も文脈や変化に応じて適切な対応ができるよう意識していきたいと考えています。
【2026年追記】2025年の揺り戻し ― DEI後退のなかで何が残るのか
一方で、この1年あまりで正反対の方向の動きも起きました。2025年1月の米国の政権交代後、連邦政府のDEI(多様性・公平性・包摂性)プログラムを廃止する大統領令が出され、これを機にMeta、Amazon、Alphabet(Google)といった大手テック企業が、年次報告書からDEIに関する記述を削除したり、関連プログラムを縮小したりする動きが相次ぎました。企業の対外的なメッセージとしての「DEI」という言葉は、急速に後退しています。
ただし実態はもう少し複雑で、業界調査では「DEIの取り組みを完全に廃止した企業は5%にとどまり、過半数は依然として優先事項と位置づけている」との報告もあります。看板は下ろしても、実務は静かに続いている、というのが実像に近いようです。
ここで興味深いのは、スローガンとして掲げられた言葉は政治の振り子とともに揺れ戻る一方、技術標準やインフラに定着した変更は、振り子とは無関係に進み続けていることです。企業がDEIという言葉を報告書から消していったのと同じ時期に、Git本体は「main」への変更を粛々と決定しました。mainブランチを使い始めた開発者が、政治情勢を見てmasterに戻す、という光景もまず見かけません。言葉の変更は、「ポーズ」として掲げられたものは揺り戻され、「道具」として定着したものは残る ― この5年の顛末は、そんな教訓を示しているように思います。
言葉の選択は、文化と価値観を映す
ちょっとしたことですが、どういう言葉を使うか、使わないかは、価値観を反映するものであり、その人・組織の文化にもなります。
当事者に何も原因がない理由で、誰かが傷つくかもしれないワードである可能性があれば、別の言い方を検討できることで、ちょっぴり、より尊重し合える社会の実現に寄与することができる、と言うと言い過ぎでしょうか。
とはいえ、いき過ぎたポリコレへの違和感もあります。2025年以降の揺り戻しは、その違和感が世の中に広く共有されていたことの表れでもあるのでしょう。
それでも、この5年間の顛末を追ってみて思うのは、大事なことは最初から変わっていない、ということです。流行しているから使う・廃れたからやめる、のではなく、言葉の背景を文脈込みで知識として持ち、相手や状況に応じて適切に選択できるようにしておくこと。GitHubの変更に始まりGit本体の決定へと至った一連の流れも、DEIの揺り戻しも、結局はそのことを教えてくれているように思います。私見ながら、アップデートを添えて改めて発信させていただきました。
参考・出典
- Regarding Git and Branch Naming(Software Freedom Conservancy, 2020年6月)
- BreakingChanges ― Git 3.0での変更予定(Gitプロジェクト公式)
- Git 3.0 will use main as the default branch(thoughtbot)
- Inclusive Naming Initiative
- The Power of Words(INI, 2025年4月)
- Terminology, Power, and Inclusive Language in Internet-Drafts and RFCs(IETF Datatracker)
- What companies are rolling back DEI policies in 2025?(TechTarget)
- DEI crackdown sparks quiet tech rollback(LeadDev)
本記事の追記部分は、各種一次情報(2026年7月時点)をもとにしています。DEIをめぐる状況は流動的であり、今後の動向により評価が変わる可能性があります。